とみるの映画日記

映画の感想。ネタバレちゅううい。

最高のともだち

アントン・イェルチンロビン・ウィリアムズ。最高。

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2000年代のパリ。ニューヨーク出身で挿絵画家をしている中年男性、トミーのモノローグから映画は始まる。

トミーはフランス人の奥さんと子供がいるが、こころに何か抱えていて、全てを開けないでいる。それは彼の13歳のころのできごとが関わっている。

時代はさかのぼって1970年代のニューヨーク、もうすぐ13歳になるトミー。親友は、当時でいう「精神薄弱者」のパパス、41歳。二人は精肉店で配達のアルバイトをいっしょにしていて、いつもいっしょにふざけあっている。パパスの心は少年のままで、ふたりは対等な仲間だった。

しかしトミーは少しずつ大人になってきていた。好きな女の子と親しくなりたいと熱望したり、男性、になっていく体。

パパスの行動がすこしずつおかしくなっていく。パパスが絶対なれないもの、「おとな」。トミーがそれになりはじめたことで、ふたりの関係が変わることは避けられない。。

 

わたしが個人的に大好きな俳優さん二人がダブル主演みたいになってるので、わっ面白そうと思って見たら、みたことある映画だった。忘れてた。でもやっぱりいい。

邦題は「最高のともだち」だけど、原題は”HOUSE of D”。これは物語のキーになる建物である女子刑務所の呼び名みたいなんだけど、この原題のほうが詩的だし、なんていうか物語全体を包み込む感じで合ってると思うんだけどな。

 

ロビン・ウィリアムズ氏はもうもちろん素晴らしいんだけど、アントンくんの演技がもう繊細で、はまり役で、悩みを抱えた心の揺れをその目で物語ってしまっている。表情が繊細なんです。若いのに。すごい。やっぱり早すぎる。この人のお芝居がもうみれなくなるなんて。ね。。

 

この映画、最初に見たときは子供目線で、学校の先生や、トミーのうつ病っぽい母親とかをいやな大人だって感じてたんだけど、見返してみてわかった。この話には根っから悪い人間は出てこない。その矜持やこころの痛みのせいで、いつも子供たちの味方ではいられないけど頑張って生きてた大人たちが出てくる。

子供だけが繊細な存在なのではない。

パパスはその間の存在なのかな。おとなとこどもの間で、どちらでもない。

 

トミーが好きになる少女メリッサは、子供なんだけどちゃんと女性として自立してる。大げさには描かれないけど。この子はパパスを平等に見るし、トミーともちゃんと向き合おうとする。13歳であの落ち着きってあるかなあ・・まあ映画だから。

メリッサはトミーとダンスパーティーで踊るんだけど、トミーったら気合入りすぎてド派手な明るいオレンジ色の服上下でやってくる。その気合感。がんばろうとしてズレちゃう、大人になるまえの感じのお茶目さ。

そんなトミーと踊りながら、メリッサ「あなたの来てる服・・。オレンジ。」って言うシーンがかわいくて笑える。

 

一方でパパスは、おとなになっていってしまうトミーに対して言い知れぬさみしさを感じていたんだろうと思う。それは、失われてしまう恐怖。大事なものがなくなる悲しみ。それで最初の事件をおこす。二人で買おうと言ってた自転車を盗む。

それはパパスの愛。パパスの愛は永遠の友情。パパスは永遠の少年だから。

 

 

女子刑務所の独房にいる「レディー」(エリカ・バドゥ)とトミーが親しくなるんだけど、刑務所の中のレディーは顔がみえないから、格子窓から声だけでトミーの相談をしばしば聞く。

ダンスの練習をさせるために、BGMがわりにレディーが独房でアカペラで歌を唄うシーンがある。エリカ・バドゥが薄暗い独房で、一人の少年のおとなへのステップのために唄うんだな。これはじんわり染みてくるようなすてきなシーンなのでじっくり見てほしい。独房の自分のためにも唄っているのだろうなあ。

 

 

パパスが起こした事件のせいで、話が少しずつ大きくなって、トミーは奨学金停止。トミーの母親は鎮静剤を飲みすぎ、脳死状態に。身寄りがなくなるトミー。絶望してレディーのもとへ気持ちをぶつけにいく。レディーはトミーにけしかける。「トミー、RUN!走れ!それでも自由なんだから!もう二度と話したくない。」

突き放され走り出すトミー。

向かった先、病院で、眠る母親につけられた機械や管を取り去る。。

医者が駆けつける病室、そのベッドの下に隠れ、声を殺して泣く13歳になりたてのトミー。。

このことは30年、トミーの心を縛ることになる。

 

その後すぐ、トミーはパパスを残してフランスへひとり発つ。

少年時代の終わり。

 

30年を経て、自分の過去と向き合うためニューヨークに帰ってきた中年のトミー。

レディーを探し出して、会いに行く。

「トミー こうなるしかなかったのよ」「お母さんもわかってくれるわ。」

時を超え、レディーの言葉によって時間が止まったニューヨークにはトミーへの赦しが舞い降りる。

解かれた。もう罪はない。まっさら。

 

30年で解かれたものはそれだけではなかった。

時代が変わり、マイノリティへの見方も変わったのだった。

障碍者の呼び名も変わった。

パパスがかつて心底願った「何も変わらないように」という祈りは叶わなかったんだけど、時代とともに明るいほうへ変化したものもたくさんあったのだった。

 

涙をさそう映画ではない。

ふしぎな希望と人間愛みたいなもの、そんな、生きてることをそのままで受け止めてくれるような懐のふかい映画だっておもう。いろんな人に何度も見てほしい。